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慈恵大学病院を訪れると、至るところで目にするこの言葉。
これは、建学の精神であるとともに、ここで働くすべてのスタッフの心のよりどころでもあります。
この言葉は、
病んでいる「臓器」のみを診るのではなく、
病に苦しむ人に向き合い、
その人そのものを診ることの大切さを表しています。
慈恵大学病院を訪れると、至るところで目にするこの言葉。
これは、建学の精神であるとともに、ここで働くすべてのスタッフの心のよりどころでもあります。
この言葉は、
病んでいる「臓器」のみを診るのではなく、
病に苦しむ人に向き合い、
その人そのものを診ることの大切さを表しています。
看護師ニュース
将来、子どもを持ちたいと考えている方々へのメッセージ #002
不妊症看護認定看護師
稲川早苗
2022年12月14日
慈恵レシピ
大根餅
普段は使用しない大根の皮を使用して出来る大根餅です。
大根の皮には豊富な食物繊維、またビタミンC、葉酸、カルシウムが多く含まれています。
具材も、海老の代わりにベーコンなどを使用してもお子様でも食べやすいおやつにもなります。
混ぜて焼くだけの簡単調理なので是非作ってみてください。
2022年11月26日
慈恵大学と渋沢栄一
東京慈恵会と渋沢栄一
高木兼寛は英国留学から帰国した2年後の1882年に、多くの有志(医師、実業家)の醵金により、施療病院・有志共立東京病院(Tokyo Charity Hospital)を設立しました。「博愛思想によって貧乏な人民を救済せんと欲したのであります。人々の病気を治し、これを療するについては、一に看護、二に医師というぐらい看護の業が大切でありますから、病院、看護学校、医学校が揃えば、まずわが同胞の疾病を十分に救済することができる と深く信じたのであります。」と高木はこの頃のことを回想しています。
2022年03月29日
慈恵大学と渋沢栄一
学祖・高木兼寛と渋沢栄一 #002
1867年、渋沢栄一は徳川昭武に従いパリ万国博覧会に参加するためフランスへ渡航します。翌年、「鳥羽伏見の戦い」から戊辰戦争が始まり、鹿児島で蘭方医学を学び始めた高木は軍医として新政府の東北征討軍に加わりますが、野戦病院では役に立たず大村藩の医師達から「薩摩に医者はいないらしい。」と嘲笑されてしまいます。
2022年01月18日
「調子が優れなくて…」そのような方も支えます
「病院は、病気になってから行くところ」。いいえ、そうではありません。医療とは、病気かどうかにかかわらず、私たちの日常生活に寄り添う身近なもの。慈恵大学病院は、独自の食事療法や運動療法など生活まるごとを視野に入れた予防の観点からの健康管理術で、みなさんの健康をサポートしています。
働く方を応援する医療
慈恵大学病院がある東京都港区は、多くの企業が集まる世界有数のビジネスエリア。だから私たちは、働く方を応援します。心身のストレスで悩むビジネスパーソンに向けて企業の産業医や近隣の開業医と連携し、ストレス対処法を提供しています。
患者さんに寄り添う医療
患者さんが診察を受けるとき、医師の目の前にあるのは単なる細胞や臓器のかたまりではありません。そこにいるのは、痛みや不安を抱えた生身の人間です。だから私たちは常にその人の生活や生い立ちにまで思いを馳せ、その人丸ごとと向き合います。
あらゆる病の治癒をめざします
あらゆる病気をカバーするため、全方位的に診療部門を開設する慈恵大学病院。複数の病を抱える患者さんには、専門各科と連携を取りながら治療にあたります。また、病気の発生や有効な治療法など、さまざまな分野の研究を行って治療に役立てているのも、大学病院ならではです。
先端技術の先にある“人に優しい医療”
世界最高水準の技術で、日本の医療界をリードしてきた慈恵大学病院。私たちが先端技術を追求する理由は、その先に“人にやさしい医療”の地平が広がっていることを信じて疑わないから。患者さんの負担を最小限にする内視鏡やカテーテルを使った手術はその一例です。
「退院したら終わり」ではありません
退院したら、回復したら、大学病院の役目は終わり? いいえ、そうではありません。退院は、患者さんが自分らしい暮らしを取り戻すための出発点。だから私たちは、地域のかかりつけ医と連携を取りながら、退院後も一人ひとりに合った切れ目のないサポートを行っています。
総合案内
係員にご遠慮なくご相談ください。
全面禁煙
病院敷地内は全面禁煙です。
マスク着用
院内における感染防止対策のためご協力をお願いします。