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慈恵の医療がわかる3つのキーワード
患者さん中心の医療「慈恵の心」とは、患者さんを一人の人間として尊重し、患者さんの心と体に寄り添う姿勢のこと。
慈恵の医療の根幹を成すのが、
患者さん中心の医療です。
「病気を診ずして 病人を診よ」
東京慈恵会医科大学の理念であるこの言葉は、
病んでいる「臓器」のみを診るのではなく、
病に苦しむ人に向き合い、
その人そのものを診ることの大切さを表しています。
東京慈恵会医科大学の前身となる成医会講習所は、高木兼寛により明治14(1881)年に創設されました。それに先立つ6年前、高木はイギリスのセント・トーマス病院医学校に留学。人道主義に基づいたイギリス医学に深い感銘を受け、帰国後は、医療に見捨てられた貧しい人たちのために病院と医学校を作ることを決意します。
当時、日本の医学界は、病人を医学の研究材料のようにとらえる風潮がありましたが患者さんの心の痛みに共感し、患者さんを中心に考える医療こそ必要だと、高木は痛感したのです。
その後、明治20(1887)年には時の皇后陛下のご意向により、「慈恵」の名を冠した病院「東京慈恵医院」が誕生しました。
この精神は、130年超をすぎた今に至るまで色あせることなく受け継がれ、ここで働くすべてのスタッフのよりどころとなっています。医師、看護師をはじめ多職種が連携するチーム医療や、地域の病院や看護施設と協力する地域連携はその一例。入院から外来まで、慈しみ恵む「慈恵の心」をもって医療を実践しています。
「患者さんを中心に据える医療とは何か?」「患者さんの病を治すために何ができるだろうか?」そうした自らへの問いかけに応えるべく、創設以来、私たちは未知の分野への挑戦を繰り返してきました。その象徴的なエピソードが、脚気の撲滅です。
明治時代、コレラと並ぶ国民病だった脚気。多くの病死者を出した原因不明のこの病は、創設者・高木兼寛が挑んだある研究によって撲滅されました。高木は脚気の原因を、当時主流だった細菌感染説を退けて、栄養の欠陥によるものだと主張。軍医として責任者を務めていた海軍の練習船を舞台に、遠洋航海中の食事による大規模介入試験を行って自説を科学的に証明しました。その結果、脚気を撲滅し、大勢の命を救ったのです。
この取り組みが後のビタミンの発見に大きく貢献したことから、高木は「ビタミンの父」として世界的な評価を受けています。また、日本の医学の発展と向上に生涯を捧げた彼の挑戦スピリットは後進へと引き継がれ、現在に至るまで数多くの最新医療を生み出してきました。その取り組みは日本の医療界をリードするとともに、患者さんの治療にも生かされています。
患者さんを第一に考える医療−−。それは、患者さんのQOL(生活の質)を最優先にとらえ、その人らしい生活を送ることができるよう、全面的にサポートする医療のこと。それを実践するために、慈恵大学病院ではさまざまな病に対応するチーム医療の体制を整備しています。
医師・看護師・栄養士・薬剤師・臨床検査技師・言語聴覚士などで構成される栄養サポートチームや、医師・看護師・薬剤師・栄養士・医療ソーシャルワーカーなどで構成されるがん患者さんのための緩和ケアチームは、その一例。あらゆる分野のスタッフが力を合わせ、密な連携を図りながら、「患者さんにとっての最善」を日々追求しています。
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